70年もの歴史を持つユニセフとは

1)ユニセフの支援を受けていた日本

誰もが名前を知っているユニセフは、詳しく知っているようで分からない人が多い組織です。

日本語では国際連合児童基金が正式名称で、英語表記の頭文字が略称として世界的に使われています。

組織的には国連の補助機関の位置づけで、名前のように世界の子供達の為に作られているのが特徴です。

また、元々は第二次世界大戦の影響によって発生した、困窮に瀕する子供達が切っ掛けです。

設立時の目的は食料や衣料品の供給で、保健のケアと合わせて支援するというものです。

理念が実を結び組織が誕生したのは1946年12月のことで、第二次世界大戦が終わった後です。

実は敗戦した日本も戦後ユニセフのお世話になっていて、深刻化する栄養不足の子供達が助けられました。

決して美味しくなかったと評判の脱脂粉乳も、食料支援の一環として提供された物の1つです。

原綿は衣服の材料として、また医療用としても活用されました。

日本での活動は1949年に始まっていますが、終了したのは東京オリンピックが開催された1964年です。

つまり、長期にわたって国際的な助けがあったからこそ、日本は復興したり経済発展ができたわけです。

期間は実に15年ですから、それだけ戦争で受けたダメージが深刻で、立ち直るのに時間が掛かったことが分かります。

仮にもし国際支援がなかったとしたら、復興にもっと時間が掛かっていたり、ここまで成長できなかったと思われます。

ユニセフのお陰で無事に成長できた子供達は、やがて働き手となり日本の経済を支えてきたので、後になって支援がもっと大きな結果になって現れています。

※日本ユニセフのデマや評判について

 

2)ユニセフの活動実績とは

長期の手厚いサポートを受けた日本は、戦争の傷が癒えたことから、今度は支援する側になりました。

第二次世界大戦後は、日本のような経済発展国ではなく、途上国が主な支援の舞台になっています。

戦争の爪痕が残った欧州も被支援国が多く、日本と同様に立て直しを図り丁度落ち着いてきた頃に、途上国の支援が始まりました。

一時は国連補助機関として存続させるか議論されていましたが、1953年に恒久機関として存続し続けることが決まります。

今でこそ珍しくない親善大使という存在は、1954年にアメリカのエンターテイナーが特別大使に任命されたのが最初です。

1959年には児童の権利の宣言、1961年以降は子供の教育に力を入れ始め、支援が物資や医療の枠に留まらなくなっています。

1965年にノーベル平和賞を受賞したことで、組織の名前は一気に世界に広まり、そして地道な活動が知られるに至ります。

時代が下り1980年代に入ると、子供の生存が主なテーマとなり、飢餓にあえぐアフリカや教育が遅れている途上国にフォーカスが当たります。

子供の権利条約が推進されたのは1989年で、1990年には子供の為のサミット、1999年には子供と紛争の決議と続きます。

紛争が勃発したり子供が受ける影響が問題になり始めたのは、丁度1990年代の中頃のことです。

2000年代はより積極的な取り組みが始まり、ミレニアム開発という大きな目標を掲げたり、子供とエイズの世界的なキャンペーンも開催されました。

2007年には世界中の5歳未満の死亡率が1,000万人を切り、ユニセフの活動が一定の成果を上げることに成功しています。

2010年代の出来事は、ハイチ地震や障がいを持つ子供達の為の取り組み、子供の権利条約25周年と、創設70周年といったものです。

このように、年代によってユニセフは柔軟に活動しながらも、常に子供の権利を重視して支援に取り組み続けてきました。

 

3)ユニセフを通して世界の状況を知る

今後活動や世界の状況がどうなっていくか注目が集まりますが、少なくとも補助機関がなくなることはありませんし、これまで通り困難に直面している子供を支援し続けます。

戦後復興から時間が経っている日本では、貧困問題の実感が湧きにくいものですが、今も支援を必要としている人は世界中にいます。

それに、1人あたりの支援が小さいとしても、合わさった力によって命が繋がったり、貧困国の将来が広がることになります。

多くの人にとってできることといえば寄付ですが、少額でも病気のリスクを減らせたり、教育が受けられるチャンスが増えます。

数百円程度でも途上国、貧困国にとっては大きな金額ですから、想像以上の支援に繋がることも珍しくないです。

寄付をした人は、現地に直接出向くわけではないので、具体的にどういった活用がされているのか分かりにくいところです。

しかし、ユニセフは寄付で支援をする人の代わりに物資の調達や供給を担い、活動内容や支援の結果をまとめて報告します。

豊富な写真や数字で変化を公開していますから、こういう情報に目を通すことで、世界中で起こっている問題に気がつくことができます。

自己満足かどうかは重要ではなく、小さくても役立つことをするか否かがポイントです。

勿論、自分の生活を犠牲にしてまで人の為に何かをするのは間違いですが、余裕がある時に少しでも寄付をする行動は、必ず困っている誰かのもとに届くでしょう。

平成の大不況がもたらした日本の子供の貧困問題

貧困

子供の貧困問題が表面化して来た日本

日本は豊かな先進国です。

ここ二十年程は景気が後退し、経済力は他の諸外国に追い抜かれてしまいましたが、まだまだ世界有数の経済大国です。

世界地図で見れば大変小さな国家ですが、巨大な国土を誇る中国と米国に肩を並べられており、景気がやや後退した今日においても日本は工業や自動車やIT分野において指折りの存在です。

日本の国に限った話ではありませんが、ユニセフなどの活動にもあるように先進国において世代間格差が激しくなってきました。

日本の国では昨今子供の貧困問題が表面化して来ました。

一昔前は一億総中流という言葉があり、実際に日本国民は文字通り経済的に中流の世帯が大多数でした。

父親がサラリーマンとして勤務すれば、その給与だけで一つの世帯が平凡ながらも安定した生活が営めました。

昭和の頃は良い意味で普通にサラリーマン男性が淡々とお仕事をこなすだけで子供は無事に成長し、社会全体が緩やかな経済成長を遂げていたため、国民の将来不安もなく、内需も安定していました。

ところが平成の時代に入り、バブル崩壊やITバブルの崩壊、そしてリーマンショックの余波など、一つの時代に歴史的な大不況の影響が日本国民を襲いました。

ごく普通にサラリーマンとして働くだけでは経済的に立ち行かなくなる家庭も増加しました。

家庭の経済力が落ちればその余波は子供の教育費や食費などに直撃する

そもそもサラリーマンとして勤勉に働き、特に資質にも問題がなかった大勢の男性が人件費削減の名目でリストラに遭遇しました。

サラリーマンと専業主婦で役割分担をしていた日本の一般的な家庭のライフスタイルが平成に入り完全に廃れました。

女性の社会進出を応援する識者は多いですが、経済的な事情によって女性が不本意ながら働きに出なければいけない社会構造の変化が背景にあるため、決して今現在の雇用情勢は手放しに評価できる環境ではありません。

夫がリストラに遭遇し、家庭の経済力が落ちればその余波は子供の教育費や食費などに直撃します。

元々物価や税金が諸外国よりも高い事もあり、子供を持つサラリーマン男性の職や給与が不安定化すれば、社会全体の貧困率は比例する形で増します。

出典:日本ユニセフ協会寄付金

戦後の社会はサラリーマン男性が経済発展を支えており、平成の大不況を受けて、大多数の男性陣が職を失い、また最近の若年層は年収が一時期の水準の半分以下になっています。

40代以下の夫婦のもとに生まれた子供は景気が悪い時代しかしらず、教育や栄養の水準が実は昭和の時代よりも後退しており、今後深刻な社会問題となります。